December 25, 2020
December 24, 2020
December 8, 2020
November 22, 2020
November 5, 2020
August 10, 2020
August 9, 2020
思わず身構えるような強い雨が一晩中降っていた。こんなに激しく雨が降ると、晴れの感覚が一瞬思い出せなくなる。冬に夏の暑さが思い出せないのと同じだ。そのまま翌日の午後までぱらぱらと小雨が落ち、梅雨めいた風が吹いていた。夕方には路面が乾いたので、犬と近くの公園まで一緒に歩く。グラウンドの脇で懸命に匂いを嗅ぐ鼻先の、濡れた土に小さなプラスチックの包み紙が張り付いていた。木々の緑が何もない空に向かって伸びていた。
2ヶ月半ぶりに撮影に出た。ロケ先には紫陽花が溢れるように咲いていた。梅雨の合間の日差しがじりじりと照りつける木陰で、淡い白から濃厚な紫まで無数の階調が埋めつくしていた。植物を眺めるのは久しぶりで見飽きなかった。紫陽花には毒があるという。夕方になると西の空には分厚い雲が立ち込め、クライアントの欲しがる絵は撮れなかった。
犬の散歩から戻りしばらくして妻も職場から帰ってきた。外に出て玄関先で、2ヶ月ぶりにまた吸い始めた煙草をふかしながらふと見上げると、西の空が焼けていた。子供の頃から慣れ親しんだ路地に、伸びた電柱、左右の家々を繋ぐ無数の電線、その輪郭を残して空は地平から天空に向かって完璧なグラデーションを作っていた。「クライアントはこの空が欲しかったんだろうね」と一瞬不憫に感じたがすぐに忘れ、幼少の頃を思い出していた。毎日飽きることなく近くの公園の、象の滑り台に作った基地で遊んでいた。辺りが暗くなって子供たちの数も減り、ふと象の足下から家の方角を見ると母のシルエットが見えた。黙って静かに立っていた。俺が気づいたことに気づくと、何も言わず踵を返してゆっくりと歩き出した。忘れていた空腹がいつも急激にやってきた。自分の体の一部のようなうんざりするほど懐かしい風景。
グラデーションが彩度を無くすまで空をぼんやりと眺めていると、街灯のあかりが灯りだした。ふと違和感を感じた。その理由が、外灯がLEDに取り替えられているからだと気づくまでに少し時間がかかった。発光している青白い光は小さいけれど眩しすぎた。見慣れた風景のなかでどこかよそよそしかくて、なぜか自分の居場所が少しぐらつくような心もとなさを感じた。
June 11, 2020
May 21, 2020
May 1, 2020
April 18, 2020
April 15, 2020
April 4, 2020
March 21, 2020
随分前だが「いつも道草をするために散歩しています」。女性は里山を時案内しながらそう言った。
今日はすっかり晴れて霞んでいなくて、河原町で友人と別れた後、バス停とは反対の方向に歩いた。白川の土手から見上げる長六橋の向こうの空が蒼くて、その言葉をふと思い出していた。高架下には濃い影が落ちていて、マスクをした孫を連れた、マスクをした老人とすれ違った。
保育園にはいつも祖父が迎えに来た。手を引かれて家の近くを散歩する時間が好きだった。父が私を叱ると父を叱った祖父。いつも私の味方でいてくれた。祖父は何を幸せと感じていたんだろう? 喜びは何だったろう?
振り返ると二人は小さくなっていた。「インスタで見たパリの小さなカフェでラテを飲みたいの」。少女もいつかそんな事を思うのだろうか。「孫に飲ませる水がほしい」。それだけを切に願う老人もいまどこかに確実にいる。同じ惑星に住みながら、人の欲望は果てしなく違う。
しばらく歩くと、白川を挟んだ両岸の土手で、スマホのスピーカーで楽しそうにおしゃべりしている女子高生たちが目に入った。その横を「なんかすんません」と足早に通り過ぎた。
March 19, 2020
March 17, 2020
March 15, 2020
March 12, 2020
March 11, 2020
後ろめたさを抱え飛行機に乗って、仕事に行きました。
窓から見える夕暮れのなかに、先日訪れた宍道湖がまるでシジミのように小さく見えました。
ふと思い出したのが、出雲民芸館で会った女性の「最寄り、無人駅なんです。なんにもないんですよーここは」とはにかむ顔。
といってもマスクしてるから、目ですね正確には。
でもここには、夕日が綺麗なだけで子供のように喜ぶ大人たちがいて、すばらしい手仕事があって、蓄電池を竹炭で作る農家さんがいて、無農薬米を300g単位で販売する米穀店があって、そしてなにより、植田先生をとても近くに感じることができる。
僕はこの場所が好きです。
一日中ひとりでそこで仕事をしている彼女に、そう言いたかったけれど言えなかった。
近頃集客が少なくて、営業時間を変えたそうです。
また会えるといいな。その時は言えなかったことを伝えよう。
March 8, 2020
March 7, 2020
March 1, 2020
February 26, 2020
USHIJIMAKE, February 23, 2020
問題をあたため続けるというのは、答えを出そうにもデータが不足なのでそれが出そうろうまで待とうではないか、ということであり、そこをせっかちに憶測で補ったり、無理なこじつけをしたり、納得のいかないまま他人の意見を採り入れたりして、急いで結論に導いてしまうならば、いちおうの答えは出る。そして、やれやれ、これで問題はかたづいたと関心は薄らぎ、やがては忘れてしまうだろう。だが、問題は本当にかたづいたわけではない。
—〈写真〉と〈肉眼〉の関係『写真ノート』大辻󠄀清司著
February 23, 2020
NATSUMONOGATARI, February 17, 2020
February 11, 2020
February 10, 2020
Hiroshima, February 4, 2020
February 3, 2020
January 18, 2020
January 14, 2020
January 11, 2020
January 9, 2020
January 8, 2020
January 3, 2020
January 1, 2020